文化・芸術・歴史
本名:木下原重郎
明治20年1887.5.16-昭和63年1988.8.27
大正から昭和に活躍した
日本人画家
書・漢文・漢詩・鑑定士
として
画家・著名人
神社仏閣・宮司・神官・僧侶・住職
政治家・警察官・法曹三者
陸・海・空・軍
多くの方と交流しました

神社仏閣奉額


水墨画・山水画・南画・東洋画
花鳥風月・水彩画・漢文
の構図や絵を晩年まで描き謳歌しました
赤壁の図:水墨画:山水画


128.4×42.1


1934年


214.8×87.3

110.2×36.5
静涯要約
10代:生家から勇姿を抱き都へ旅立つ
20代:師事から教えを受け研鑽を積む
:都から京都へ志を抱き旅立つ
30代:インド仏画研究・中国・へ旅立つ
:立ち寄った台湾に滞在する事になる
摂政宮・皇室献上
台湾に移住する事になる
40代:台展・府展・審査員他16年努める
50代:多くのお弟子さんを育成する
文化の発展・美術・芸術・歴史・教育に尽力する
60代:台湾から日本に引き揚げる
:生家で父親の最期を共に過ごす
:父親を見送り長野県を旅立つ事となる
:福岡県に移住する事となる
美術協会には属さず多くの方と生涯交流を深めました

続・102歳までの実録
静涯師事
田中亭山・村瀬玉田・竹内扇風
静涯が研究した画家
松村景文・横山清暉・川合玉堂
複雑な状況下の時代。
交通移動が難しい時代。
国境を越えて
人格者と呼ばれ尊敬された。
身一つで旅を繰り返し
0からのスタートを必然的に
何度も繰り返す
事となる生涯。
画家として勝負をしたい時に
必ず立ちはだかる壁
いつの世もこの世に
救世主は実在する
続:偉人達の実録
********************************
続・聳え立つ確執
ー継承の実録ー
筆記:静涯結心
それも又人生

選ばれる人には魅力と理由がある
独りでは成し遂げられなくても皆の力で達成できる

⚫︎伝えたい 思いがある
⚫︎伝えたかった 言葉がある
⚫︎伝えられなかった 心がある

静涯庭所蔵
おてんとう様は きっと 見てくれている
心より『感謝御礼』申し上げます