台展受賞歴

静涯受賞作品6-10

日本統治時代官展

台湾美術展覧会『台展

改称後

台湾総督府美術展覧会『府展

1932年台展第6回

立春
1932.10.18
審査員
陳進・郷原古統・結城素明・静涯

1933年台展第7回

1933審査員
呂鉄州・陳敬輝・郭雪湖・祭雲厳・郷原古東・女給・結城素明・陳進・静涯・村上無羅

1934年台展第8回

1934年審査員
郷原古統・廖继春・静涯・塩月桃浦・顔水龍
藤島武二・陳進・松林桂月

進んで台湾美術の*羂索にうつり、台湾の中堅作家には裕福なものが少なく何とか今少し余を講じてやればよいと思います。それには内地のよき富局の力によって借入れ台湾まで持って来て一般美術研究家に関心観察せしめられたい、第一美術館の建設が急務だ、淡水には画家が多く来るが気の利いた宿場がないので自分は自力で研究を重ねて旅館を作り無料で提供したいと計画しています。

【氏の談話は粛々と厳かで尽きるところを知らない妨げとなるのを*憂び引き揚げたが秋の陽射しが淡水の岸に繋いであるチャング船に映えていた】【1934台湾日日新報引用 

悽愴:悲しみいたむこ

:非常に痛ましいさま

點. :点・しるし

面食らった:突然の出来事にまごつく

   :驚いてあわてる

 憂:つらい・かなしい

才気換発:優れた頭の働きが

    ひらめく樣にあらわれる事

    :創造力に満ち溢れる

    :素早い適切な判断を下す

羂索:仏菩薩の衆生を救い取る働き

   を象徴するもの

衆生:命あるもの

  :心を持つ者才気

才気:才覚が溢れ出ているさま
換発:光り輝くさま
番山
番:外国の

静涯見聞書

曇煙椎の木

深い山の*悽愴な気分を現してみたい。【1934台湾日日新報引用:今年はもう塗ることをやめましたよ。線描にしました。私としては新しい試みですが線描となると南画式になり住時はやはり写生から継ぎ足しているので運筆を南画式での方が面白いと思います。近頃は淡彩の南式風に転向していますね。墨を尊重する事が東洋画の精神でありそれには線描きが生命です。南画の*點苔、沼骨法など味な所が多い、やはり南画は東洋画の定石ですね、私も南画をもっと深くやらなかったことを遺憾に思っています。【氏から南画論を聞くことを予期しなかった記者はやや面食らった】話頭を転じて自分の出品画に移り氏は語をつぎ動いている雲煙と椎の木と洋画と點苔とを描いて深山の*悽愴気分を現したい、山娘を一羽これに配し幾分柔らか味をつけたいと思っています。群青を少し使いますが極めて淡彩です。塗り上げてふと線の面白味が殺されますがね、この出品画には南画は殆ど見りません。第1回第2回には经世師の描く水牛に乗っている子供など商店の店頭に飾るような画を出したものですが自ら落選させました。第2回の時には松林桂月画伯等も来られたので自分らが南画に理解がないから辞退したとの免罪をもがれました。

台展を前にアトリエを覗くより:郷原審査員とともに台展第1回からの審査員で台湾美術会に大きい貢献をしている淡水の木下静涯画伯は*才気換発筆の持主である。前者の鈍重な役者の華麗な筆致がいずれも本年の出品画に現れているから面白い木下氏の出品画は中央山脈の入口ラハウ審山に雲煙濛久と立ち込め、その中央に椎の木が亭々と空に聳えている。ポーズを横3尺縦6尺の絹本に描かれているものだ【1934台湾日日新報引用 台湾日日新報当時記者の方有難うございました。』

1935年台展第9回

雲海

1936年台展第10回

刺竹

中華民国:台湾文化部の皆様

静涯お弟子様研究者の方々

台湾台北市立美術館

国立台湾博物館

淡水古蹟博物館の皆様

日本国関係者各位

ご尽力応援下さる皆様

淡水旧家:重要建築物
淡水古蹟博物館引用
淡水古蹟博物館引用
淡水古蹟博物館引用
淡水古蹟博物館内

『敬意を表し厚く御礼申しあげます』

木下静涯プロジェクト

世外荘の世界
美術・研究・絵画

共に広めたい

*静涯著作権免费
随時ご連絡をお待ち申し上げます

株式会社MyEverything
木下静涯プロジェクト
2023.3.7

木下静涯遺言
↓静涯から継承された
木下文子遺言意志
↓文子から継承を受け
曾孫静涯結心
現代風にアレンジして
整理整頓を挑むストーリー

次女文子:静涯着付け・食等
お客様のご対応・鑑定現場・作品等
静涯の人格を生涯守った

京都「京焼」「清水焼き」

山口「萩焼」

世外荘所蔵

等も自ら窯に出向いて堪能しました

 

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