狩野安信
続狩野派とはB
約400年繁栄し続け
弟子の教育にも力を入れた
大英博物館
膨大な量の障壁画の注文に応えるため、狩野家の当主は、一門の絵師を率いて集団で制作にあたる必要があった。その為、狩野派の絵師には、絵師個人の個性の表出ではなく、先祖伝来の絵手本・筆法を忠実に学ぶことが求められた。
イギリスロンドン公立の博物館
狩野安信享年71歳
1614.1.10-1685.10.1
慶長18年12.1-貞享2年9月4日
幼名は四郎二朗・源四郎
号は永真・牧心斎
江戸時代の狩野派の絵師
狩野孝信の三男・狩野探幽・狩野尚信の弟
狩野本家に養子
江戸幕府御用絵師
狩野宗家の中橋狩野家の祖
英一蝶は弟子に当たる
狩野派の作品は
中国由来の画題を水墨画で描き
着彩・金箔を貼るなど
「漢画」の技法を主軸に置いた
豪壮で格式のある作品が多く
武家を中心に
高い支持がありました
続:狩野周信・1660-1728
⚫︎常信の長男
続:狩野永納・1631-1767
⚫︎曽祖父・永徳
⚫︎安信に師事
⚫︎四代家一人
静涯縁研究
世界に残し心に刻む
信念・勇気・誇り・願い・語り
偉人達の記録
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