村瀬玉田:静涯師事
村瀬玉田
江戸末期-大正日
嘉永5年-大正6年
1852.4.8-1917.10.12.享年66歳
京都出身
本名:榎徳温通称:清次郎別号:彩雲亭
13歳:*村瀬双石の門に入り四条派を学ぶ
村瀬家の*養嗣子となる
[要約]
明治13年京都府画学校出仕となる
14年内国勧業博で妙技3等賞を受賞
15年第1回内国絵画共進会で銅印
17年第2回内国絵画共進会で銅章を受賞
京都博覧会・東洋絵画共進会.等.受賞を重ねる
25年シカゴ万博
33年パリ万博
37年セントルイス万博
43年日英博覧会
海外の博覧会出品を果たす
御用画を度々つとめた
参照:飯田市美術博物館
元糺夏景(もとただすかけい)
明治34年(1901)
絹本墨画淡彩
縦28.9㎝ 横22.2㎝
諸家平安勝景画冊第13面
内国絵画共振会他受賞
明治16年京都から上京し
漢学/和歌も学ぶ
皇室御用画を制作した
内外の博覧会・展覧会に出品
維新後
第7回京都博覧会で三等銅牌となる他評価を受け
開設間もない京都府画学校に*出仕した
東都画壇でもその技量は認められ
龍池会に参加
東洋絵画共進会の審査員に推挙された
同展が日本美術協会へ移行後も
高位の受賞を重ね
審査員や委員を歴任して
中軸を支える事となった
*出仕
民間から出て官に仕えること
仕官・官庁勤め
四条派の流れを継ぐ実力者と称号を得た
写実的で描写的な
山水画・花鳥画を得意とし
明治画壇で活躍した
[皇居三の丸尚蔵館収蔵作品]
俊成卿明治15年(1882)171.2×84.9
水石契久之図明治22年(1889)
玉章玉田合作画帖明治22年(1889)
秋暮6曲1双大正5年(1916)
京都の円山派の川端玉章,四条派の村瀬玉田が,宮内省の依頼を受けて共作した画帖。江戸時代以来の伝統的な画風の玉田に対し,油彩技法を学んだ玉章の描写は,洋画を意識した陰影表現が見られる。「明治美術の一断面」
引用:皇居三の丸尚蔵館
村瀬双石:雙石Soseki
江戸時代後期-明治日本画家
1822(文政5年)-1877(明治10)56歳永眠
幕末・明治の画家
別号:彩雲
名:魚
京都生まれ
円山・四条派の伝統を守り
同派中の一流名家として知られる
*松村景文に画を学ぶ
松村景文永眠後
*横山清暉の門に入る
*養嗣子とした門人村瀬玉田が明治画壇で活躍した
*養嗣子:民法旧規定上の家督相続人となる養子
明治38年1月12日
円山・四条派とは
江戸中期から
京都で有名になった
円山応挙と呉春
を祖とする四条派を合わせた呼び名
江戸中期円山応挙により
始められた写実的絵画の流派
その流れをくむ円山応挙門下の呉春
の開いた四条派を併称したもの
呉春門下には*松村景文がいる
呉春門下岡本豊彦は四条派に南画様式を取り入れた
その南画系を*竹内栖鳳らが相次ぎ明治の
京都画壇に大きな影響を与えた
『我深表謝意』
ー2023静涯昇鯉甦りー
玉田摹孔雀:静涯18歳
1905年:明治38.2.8
2023時を越えて甦り
静涯蔵
とは
『木下静涯の蔵』
静涯の父親(久太郎)へ
●静涯が父に生存を知らせる為に描き送ったもの
●静涯が青年期に描いたもの
●師事等から研究に頂いた画
や
台湾から帰郷した時に描いた絵画等
を静涯が
保管・所有の蔵
静涯御縁研究
静涯画伯が研究に描いた偉人等の作品
続:村瀬玉田2
続:松村景文
続:横山清暉
続:竹内栖鳳
続:川合玉堂
ー世外遺音ーTeam Taiwan
構図引用
非常感謝
筆:静涯結心
2023木下静涯プロジェクト
ーJapanー
筆記:静涯結心