赤壁の図:山水画
台湾から帰郷後初冬
前後2部の構成
赤壁の図
静涯画伯が描いた前後赤壁の図には、蘇東坡の有名な詩(漢詩)が織りこまれている。この詩によると、大自然の凄さを目の前にすると、人の人生は、はかない存在である。と悟り、内面の豊かさの重要性や心身の健康『足るを知る』恵、目の前にある幸せ、目標に向かってゆく姿勢と勇気、信じる気持ち。周囲に対しての感謝を忘れない大切さを例えている。そして、限り有る命も又儚く・もろいからこそ、自然の中で感動する喜びも無限大にあるという。『栄枯盛衰』世の中の全てにおいてを、人の心に訴え清めている。自然の偉大さはいつの時代にも、変わらずに、恵んでくれている事を知り、受け入れられる心もまた大事である。と説いている。
儚い(はかない): 消えてなくなりやすい・もろい・大したものではない・おろか・取り立てるほどのものでない。
もろい:こわれやすい・心を動かされやすい。
蘇東坡 (そとうば)= 蘇軾(そしゅう) 1036年−1101年
中国の代表的な文人・官人
中国北宋時代の政治家・詩人・文豪:際立ちすぐれた文芸家・書家・画家
『赤壁の賦』:代表作の詩・中国市場歴史的な戦いの深淵な詩
前後の構成で成り立っている。
『前赤壁賦書』
天地の長久と人の世の短さを対比させて、自然の美しさに対する喜び感動を記す
宋の元豊5年(1082年)旧暦7月16日夜の出来事が詩の中で詠まれている
「前壁の賦」 7月. 537文字
「後赤壁の賦」3ヶ月後の10月. 357文字(最遊した記念の詩)
前赤壁の賦
月の下、客人と舟で、赤壁で大激戦をした(魏)曹操・(呉)周瑜の栄枯盛衰を偲び、自分のはかない身の上を嘆いて、大自然の前では限り有る命しか持ち得ない、儚い存在であることを悟る。船遊びの楽しさ・厳しい自然の畏怖・人生の儚さ・を筆で記す。「人生の短さと天地が永遠であることを羨んでも仕方の無いこと。運命・天が定めたことであり、そのままを受け入れる以外にない」長江の清風を楽しんだ感慨が詠まれている。
賦の詩に『三国志』で有名な赤壁の戦いの回想が入る。実際の古戦場は上流の同名地。漢代に栄えた賦は、宋代に入ると「文賦」と呼ばれて散文化した。が『赤壁賦』は代表的な傑作であり、中国の賦のなかでも最も有名な作品である。蘇軾が訪問したのは、湖北省黄岡市黄州区西北の長江北岸の赤鼻磯であり「東坡赤壁(別名・文赤壁)」と呼ばれ実際の戦場ではない。晩唐の詩人杜牧が詩に詠んだことから赤壁の古戦場と見なされるようになり、蘇軾の作品によって、実際の古戦場以上に場所が有名になった。本来の赤壁の戦いの古戦場は、湖北省蒲圻市(現:赤壁市)西南の長江南岸に位置する赤壁山である。
後赤壁の賦
客人と遊んだ際の景色:冬の月夜、水量が少ない江石・露出し凄惨な景色について詠んでいる。
三か月間の自然の変化をうたい、飛行する鳩に詩心をよせている。
赤壁賦書抜萃
其ノ声鳴鳴然トシテ、如レク怨ムガ如レク慕フガ、如レク泣クガ如レシ訴フルガ。
其の声鳴鳴然として、怨むがごとく慕ふがごとく、泣くがごとく訴ふるがごとし。
その音色はむせび泣くようで、恨むようで慕うようで、泣くように訴えかけるようだった。
余音嫋嫋トシテ、不レルコト絶エ如レシ縷ノ。
余音嫋嫋として、絶えざること縷のごとし。
余韻が細く長く続いてとぎれず、まるで細い糸のように途絶えなかった。
舞二ハシメ幽壑之潜蛟一ヲ、泣二カシム孤舟之嫠婦一ヲ。
幽壑の潛蛟を舞はしめ、孤舟の嫠婦を泣かしむ。
音色は深い谷に潜む蛟(毒蛇)を舞わせ、小舟に乗っている夫を亡くした女性を泣かせるほどのものであった。
知レリ不レルヲ可二ベカラ乎驟ニハ得一、託二スト遺響ヲ於悲風一ニ。」
驟には得べからざるを知り、遺響を悲風に託す。」と。
すぐに手に入れることができないということを知り、洞簫(中国縦笛)の余韻を悲しげな秋風に託したのです。
蘇子曰ハク、「客モ亦知二ル夫ノ水ト与一レヲ月乎。
蘇子曰はく、「客も亦夫の水と月とを知るか。
私(蘇子)が言う、あなたも長江の水と月とを知っていますか。
逝ク者ハ如レクナレドモ斯クノ、而未二ダ/ル嘗テ往一カ也。
逝く者は斯くのごとくなれども、未だ嘗て往かざるなり。
流れて行くものは長江のようなものですが、今まで川の水全部が流れてしまったことはありません。
盈虚スル者ハ如レクナレドモ彼ノ、而卒ニ莫二キ消長一スル也。
盈虚する者は彼のごとくなれども、卒に消長する莫きなり。
満ちたり欠けたりするものは月のようですが、結局消えたり大きくなったりすることはありません。
蓋シ将ニ自二リシテ其ノ変ズル者一而観レレバ之ヲ、則チ天地モ曾テ不レ能二ハ以ツテ一瞬一ナル。
蓋し将に其の変ずる者よりして之を観れば、則ち天地も曾て以つて一瞬なる能はず。
思うに、川の流れや月が変化する観点から見ると、天地も一瞬でも同じ状態ではありません。
自二リシテ其ノ不レル変ゼ者一而観レレバ之ヲ、則チ物ト与レ我皆無レキ尽クル也。
其の変ぜざる者よりして之を観れば、則ち物と我と皆尽くること無きなり。
変化しないという観点からこれらをみると、物も私も全部尽きるということはありません。
而ルニ又何ヲカ羨マン乎。且ツ夫レ天地之間、物各有レリ主。
而るに又何をか羨まんや。且つ夫れ天地の間、物各主有り。
それなのにまた、何を羨むのでしょうか。(何も羨まない)天地の間には、全ての物にそれぞれ持ち主がいます。
苟シクモ非二ズンバ吾之所一レニ有スル、雖二モ一毫一ト而莫レシ取ルコト。
苟しくも吾の有する所に非ずんば、一毫と雖も取ること莫し。
自分の所有する物でなければ、ほんの少しのものだとしても取ることはあってなりません。
惟ダ江上之清風ト、与二ノミ山間之明月一、耳得レテ之ヲ而為レシ声ヲ、目遇レヒテ之ニ而成レス色ヲ。
惟だ江上の清風と山間の明月とのみ、耳之を得て声を為し、目之に遇ひて色を成す。
ただ長江のほとりのさわやか風と山間の明月だけは、耳で(風)を聞いて声として感じ、目で(月)を見て美しい色だと感じるのです。
蘇東坡 = 蘇軾とは
有能ゆえに、左遷されたり重用されたりする波瀾万丈の人生であった。
波瀾万丈:変化が激しく劇的である
記載書より引用
筆記:静涯結心