乃木希典・犬養毅
乃木希典63歳永眠
嘉永2年1849.11.11 - 大正元年19129月13日
明治時代大日本帝国陸軍大将
勲一等旭日桐花大綬章
(旭日章最上位)
昭和天皇教育係
20年:戦術研究ドイツ留学
29年:第3代台湾総監:治安確立
台湾島民の教育に取り組む
37年大将へ昇進
40年:明治天皇の意、学習院院長兼任
学習院院長として次世代教育にも貢献
明治時代の代表的軍人
日清戦争では第一旅団長
日露戦争では第三軍司令官
陸軍大将
軍事参議官
港区赤坂・六本木
乃木神社
乃木希典、妻静子を祀っている
縁結び・勝負運・学業成就
内助の功を尽くした姿は
日本女性の守り神と
伝えられている
戦争で多くの人・長男次男を亡くし
自刃したいと願う中
明治天皇の信頼が絶大であり
皇族や華族が通う学習院院長に任じられた
将来の日本を背負う子らの
教育に生きがいを見出し
全身全霊で努めた
引用:乃木希典
犬養毅76歳永眠
安政2年1855.6.4-昭和7年1932.5.15
号:木堂
通称:仙次郎
江戸時代-明治時代-大正時代-昭和時代
政治家
第29代内閣総理大臣
文部大臣・逓信大臣
外務大臣・内務大臣他歴任
42年間の議員生活
位階は正二位
勲等は勲一等
漢文・書・英語を学ぶ
慶應義塾大学初首相
西南戦争・従軍記者:郵便報知新聞として
九州へ行き戦地直報を書いて活躍
慶應義塾大学中退し『東海経済新聞』を刊行
*福沢諭吉に認められ
何かと縁があった
政界入りも果たし
中国の政治家とも
親交を深め
アジア主義者として
世界的に注目された
*福沢諭吉
江戸〜明治時代活躍
思想家・作家
慶應義塾大学創始者、教育者
『至誠通天』
静涯結心