台湾名勝絵巻
1923年(大正12年)
絹本着色41.7×426.2

上巻解説は学術論文記載
大正天皇と昭和天皇(皇太子時代)台湾に訪れた際:台湾行啓:木下静涯が台湾を案内しました。天皇は静涯画伯の絵を賛美して下さり.台湾国から日本国に逆献上されました。又.当時の台湾総統は木下静涯が台湾展覧会の創設に関わり.審査員等を努め.歴史の基礎となる芸術文化の発展に尽力したと称賛して下さりました。
台湾行啓
臺灣行啟
とは
1923大正12年4月
への
(後の昭和天皇)による
行啓:訪問の事
★上巻、下巻、共に三の丸尚蔵館に収蔵
台湾名勝絵巻学術論文

名所絵から風景画へ


國立臺灣美術館
臺北市立美術館
淡水古蹟博物館
台湾国収蔵






千代田区皇居のある博物館
美術品の保存・研究・公開・施設
皇室に代々受け継がれた
絵画・書・工芸・美術品
遺贈品・寄贈品
収蔵されています

◉年表の一部記載
●1887年(明治20年) 0歳 木下源重郎 (静涯) 誕生
●1901年(明治34年)14歳 分教場の代用教員となり俳諧(江戸時代の日本文学)を学ぶ
●1902年(明治33年)15歳 田中亭山・漢詩・絵画習う『画家となる起縁となる』
●1903年(明治36年)16歳 上京中倉玉翠(村瀬玉田.狩野派大家橋本門下玉翠柳省閣)塾入門
●1904年(明治37年)17歳 村瀬玉田.四条派の名手.日本美術協会審査員.円山応挙師事
●1907年(明治40年)19歳 東京勧業博覧会『細雨』入選
●1908年(明治41年)21歳 竹内栖鳳(文化勲章受賞者)門下・竹杖会に籍をおく
●1918年(大正 7年)31歳インド仏画研究・中国へ向かう途中台湾に立ち寄り.個展を開催
●1918年(大正 7年)31歳 友人が腸チフスになり、医療費の為に絵を書く・残留
●1923年(大正12年)36歳 摂政宮昭和天皇受託台南市..皇室献上
●1924年(大正13年)37歳 裕仁皇太子成婚作品(奉祝謹)
●1928年(昭和 3年) 41歳 台湾美術展審査員を15回努める
●1938年(昭和13年51歳台湾総督府美術展覧会審査員6回 努める
●1945年(昭和20年)58歳 台湾から帰郷
●1945年(昭和20年)58歳実家で父親との時を過ごし作品を描き続ける
●1946年(昭和21年)59歳 『前後赤壁の図』製作
●1949年(昭和24年)62歳父親を見送り 福岡県北九州市小倉北区移住
●1974年(昭和49年)88歳 米寿記念展・福岡県井筒屋展・他
●1976年 (昭和51年)90歳 長野県作品展
●1983年(昭和58年)97歳 祝寿記念展覧会
●1988年(昭和63年)102歳 没
●1989年(平成元年)長野県遺作展
●1995年(平成7年)長野県美術全集4「信州に聳える日本画の山脈」

日本人の心を描き続け枯淡の境地に達した静涯の芸術は不滅である
台湾での活動
■台湾重要文化財認定(国宝級)
■台湾重要建築物認定
■台湾展覧会受賞歴16回
■台湾総督府展審査員16回
■台湾台北美術館収蔵
■台湾台北市立博物館収蔵
■台湾淡水古蹟博物館展示
・総督府30年郵便記念葉書製作
・台中神社奉額・台湾神社奉額・健功神社奉額
・総督府・台中神社・州庁・大学・全島学校の講堂・作品委託受任(掲示)
・漢詩・漢文を書き、異国の方との交流も深めた
・引き揚げ者団長
他


前左)村上無羅・木下靜涯
後左2)蔡雲巖・郭雪湖・林玉山・陳敬輝・
右1)為林錦鴻

神島裱装師・加藤紫軒・佐々木立軒・野間口墨華
村上無羅・祭雲厳・郭雪湖・
野村泉月・秋山春水・起陈敬輝(後右
田部善子・末詳・郷原古統・木下静涯(前右

塩月桃浦・役所の方・木下静涯
山口蓬春・中澤宏光・野田九浦・大久保作次郎

郷原古統/塩月桃甫/静涯/石川欽一郎
松林桂月/末詳/小林萬吾

南薫造/幣原総長/勝田薫琴

小澤秋成/000/seigai/郷原古統/塩月桃浦/陳進
結城素明/幣原総長/藤島武二

祭雲厳/郭雪湖/村上無羅/呂銭州/野間口墨華木下静涯秋山春水/陳敬輝/立排右起
郷原古統/臺展官員/塩月桃甫/井上重人/
市来市シオソ/陳進


文子94歳・三女節子92歳

木下静涯総合窓口

