伊藤博文・李鴻章
伊藤博文69歳永眠
1841天保12年9月2日-190910月26日
幕末-明治活躍
長州藩:山口県出身
日本初総理大臣
日本近代化に貢献
憲法や内閣制度をつくる
千円札の肖像
貨幣法「円」法律制定
1857安政4年(16歳吉田松陰師事
1863.文久3年(22歳藩密命:イギリスに留学
1871.明治4年 (30歳岩倉使節団の副使:米欧回覧
★1885.明治18年(44歳)
初代内閣総理大臣
最年少記録
計4回総理大臣を務める
(初代・第5代・第7代・第10代)
★1886年.明治19年(45歳)
帝国大学:東京大学創設
:官僚育成に尽力
★1889.明治22年(48歳)
主導
「大日本帝国憲法」制定
「明治天皇も加わり審議」
★1905明治38年(64歳)
初代韓国総監
1897年題台北城壁2(内2)
伊藤博文の章
第2次内閣総理大臣時代2
候爵大礼服を着用
長州藩農民家庭に生まれ
父親:下級藩士:伊藤家養子
博文武士の身分獲得
16歳松下村塾入門し:吉田松陰師事
『高杉晋作・久坂玄瑞・木戸孝允』
身分が低く塾の敷居をまたぐことは許されず
戸外で立ったまま聴講
ランドセルの始まり
体力増強と平等な学習環境づくりを目的に
博文が大正天皇学習院入学祝に献上
通学カバンが発祥した
ベネッセ教育情報引用
行動から学び、考えを変えていく柔軟さ
人柄、政治能力があってこその英語能力
固く信じていたことであっても、
状況に応じて柔軟に考え方を変える
伊藤博文だった。
小学館学ぶ引用
多くの国民が訪れて死を悼み
本来政治を動かす立場からはほど遠い農民の出身
運良く下級武士の一員に加わるが
生粋の武家出身者との差は大きかった。
しかし学ぶ努力を怠らず誰でも通える松下村塾
イギリス公費留学などのチャンスを生かして
着実に出世した。
李鴻章78歳永眠
道光3年1823.2.15- 光緒27年1901.11.7
安徽省の出身
中国清時代:政治家
外交を担う
太平天国の乱准軍結成し活躍
皇帝から全権を委任
清国重鎮として直隷総督・北洋大臣を兼務
日清戦争後1895下関条約
日清講和条約に調印
「総理大臣伊藤博文・外務大臣陸奥宗光
・清国全権李鴻章」
その後
日本は台湾統治に全力を注ぐ
``李鴻章は
「日清戦うべからず」
と強く主張
旧幕閣勝海舟は共感
日清戦争後枢密院顧問
の立場でこう警告していた
『日本人もあまり戦争に勝った
などと威張って居ると
後で大変な目にあう
剣や鉄砲の戦争には勝っても
経済上の戦争に負けると
国は仕方がなくなる
経済上の戦争にかけては
日本人は支那人には及ばない
だろうかと思うと
おれはひそかに心配する』,,
経営コラム&ニュース
書き手:宇惠一郎
元読売新聞東京本社国際部編集委員
掲載記事:引用
木下静涯プロジェクト
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筆記:静涯結心