勝海舟・桂小五郎
勝海舟77歳永眠
文政6年1823.3.24-明治32年1899.1.19
江戸武士・政治家
若い頃から剣術や蘭学に励む
長崎で最新学問・航海術を学ぶ
1860年蒸気軍艦咸臨丸で米国に渡る
政治家として
幕末から明治維新へと
激動する日本で
重要な役割を果たした
近代国家・海軍発展に貢献した
海舟名言
行蔵は我に存す
毀誉は他人の主張
我に与からず我に関せずと存候
出処進退は自分が決める事
悪口・称賛は他人の主張
私には関係の無こと
福沢諭吉明治34年:1901
瘠我慢の説
時事新報
に対する
勝海舟の返答より記載
``軍艦奉行他を務め
門下生:坂本竜馬等を迎え
神戸海軍操練所建設を進めた
世界情勢他を教わり
「日本第一の人物」
と家族に手紙を記した,,
墨田区生まれ
大田区別荘にて生涯を閉じる
勝海舟記念館
桂小五郎:木戸公充45歳永眠
天保4年1833.8.11-明治10年1877.5.26
号は松菊
武士:幕末長州藩士
明治時代初期:政治家
剣豪であった
桂家に7歳時養子に入る
長州藩士として幕末に活躍
西郷隆盛・大久保利通・明治維新三傑の一人
1849年:嘉永2年
「明倫館」吉田松陰に兵学を学ぶ
1852年19歳剣術修行で江戸留学中
ペリーの黒船を見た衝撃から
長州藩の軍制を西洋式に変えた
桂小五郎無くして
長州藩の武力討幕はなく
明治政府による国家経営の刷新もなかった
記載有
高杉晋作
*伊藤博文
イギリス留学を助ける
倒幕に向けて
長州藩リーダーとして活躍
江戸遊学後
斎藤弥九郎剣術道場に入門
塾頭も務めた
山口県萩市生まれ
京都府京都市生涯を閉じる
勝海舟と木戸孝允:桂小五郎
第二長州征伐に関する会議が行われた
大願寺
筆記:静涯結心