台湾神社
木下静生涯31歳1918年12月
(大正7年)
裁判官・検察官・東京画家陣内氏
3人と共に
インド仏画研究・中国本土写生旅行へ旅立った
道中友人を訪ね・展覧会を開催した
台湾で
28年の歳月を過ごした
1941年:昭和16年台中神社奉額
1944年:昭和19年台湾神社奉額
1938年:昭和13年台湾神社
顧みれば
インド旅行で立ち寄った
台湾で
殆どの一生を
支配する運命となった
かと思うと
一時の感じがせぬでもない
誠に人生又夢の如し
古人の言が今更乍實に感ぜられる
静涯日記より
『古人』昔馴染み(お弟子)
『乍』たちまち・急に・ふと
『實』実る・満ちる・真心
台湾淡水に居を構えた
静涯は
台湾文人との交わりを通して
自己研鑽に励み
多くの作品を描いて
多くのお弟子様を育成した
研鑽:学問をみがき深める
自己研鑽:Improve oneself
1936年:昭和11年3月
淡水世外荘には
多くの著名人
日本からの訪客
台湾各地から芸術家
場所柄的にも
海・陸・空の軍人さん
政治家・裁判官・判事
警察官・官僚の方々が集い
絵・書・詩・を嗜み
お酒を飲み語り集った
又静涯の移動には
軍用機が使用されていたらしい
現在台湾では静涯に恩義を感じた律儀なお弟子様が数多くいらっしゃいます
静涯もきっと行動や姿
心や魂を見抜いている
見ているからこそ
手を差し伸べ
援助・援護してくれる
取り組み・語り・繋がる日迄
努めご協力致します
『人生中怦然心动的一瞬間』
応援くださる世界中の皆様
多くの静涯のお弟子様
お陰様で静涯亡34年後
少しづつ歩み寄れた
スピード感・ご尽力
日々感謝ばかりです
『更なる繁栄をお祈りし』
引き続き宜しくお願い申し上げます
1938年:昭和13年
台湾警察時報新年特別記載
『人情と縁』
人の数だけ考えがあり
結果にはプロセスがある
Ps 偶然ご一緒出来た
知人のお便り
教授職の為数年前に
ニューヨーク滞在中
のパーティにて
自分達を日本人だと知り
台湾の現役裁判官の方から
台湾で活躍した画家静涯についての
熱弁を聞いた事がある。
と私に話してくれた
自分達は当時、静涯を知らなかったが
こういう縁で
知る事になるとは思わなかった。
と互いに驚いた
私も静涯娘から聞いた
静涯の旅に・裁判官・検事と
同行した事を聞いていたので
話が繋がった。
これも何かの巡り合わせ
なのだろうかと
心の中でときめいた
筆:静涯結心