竹内栖鳳
竹内栖鳳享年77歳
1864.12.20-1942.8.23
明治/大正/昭和
戦前に活躍
出生地 京都府京都市中京区
神奈川 県足柄下郡湯河原町
円山四条派
土田英林/幸野楳嶺
師事
帝室美術院・帝国美術
京都画壇重鎮
文展開設当初から審査員
大正:皇室の作品も手がける
官展を中心に意欲作を発表
第1回内国絵画共進会入選
第1回文化勲章受賞
レジオンドヌール勲章
シカゴ万博出品
門下四天王の一人
パリ万博視察に渡欧
「楳嶺四天王」
戦時下では軍部協力姿勢
近代日本画の発展に貢献した先駆者
円山四条派伝統写生を基本とし
古典も学ぶ
水墨画・東洋画の伝統も引き継ぐ
西洋画写実画法も取り入れる
弟子の育成に尽力し画塾『*竹杖会』主宰
京都画壇の大半を送り出した
基礎は四条派とし、掛け軸・屏風まで様々な大きさの作品を手掛けた。ヨーロッパ旅行を経て西洋の写実画法などを、狩野派に積極的に取り入れ、革新的な日本画の画風を示し貢献し、革新運動を担った。大画面をまとめる技術だけではなく、その筆法には迫力を備えていた。時として、守旧派からは「鵺派」と呼ばれて揶揄されたが、近代化にした代表画家であることに異論が無い。動物を描けば匂いもまで描くと称賛された。弟子の育成に『竹杖会』を主宰、京都画壇の大半を送り出した。卓越した写力は、丁寧で細かい緻密な写生から生まれていた。第1回文化勲章受賞者として西の竹内栖鳳/東の横山大観共に日本画壇をリードした偉大な画家であった。
静涯縁研究
2024謹賀新年
『獅子は千尋の谷に我が子を落とす』
https://my-everything-brand.com/miho/
年賀状のお題目/題材
についてのご解説文
“竹内栖鳳” に対して2件のコメントがあります。
コメントは受け付けていません。